本当は

今日は母の日なので家族でちょっと食事に行く。僕もその時間は、ひさびさの休みという感じで、なんかうれしい。こういうのが人生だよな。子どもをサッカーに送って、仕事場ですこし作業して、お迎えに行って、夕飯を食べて、また仕事場に来ちゃったけど、その気持ちは忘れないでいたい。

ジャグリング、飽きたな、という思いがここ数日強くなっている。僕もそういうときがある。というか、楽しいと飽きたのあいだを行ったり来たりして、それでも最終的に沈まないから、やってきているだけの話だと思う。沈ませない技術だけが無茶苦茶に高い、とは思っている。本当は沈ませたほうが自然なんだと思う。

うまくいえないけど、ジャグリングということにはこだわりがあるが、ジャグリングという言葉から離れるというか、新しい自分なりの事象として考えてみる、というのも大事なんじゃないかと思う。この日記がまさにそうだし、それはただの沈ませないための技術ともいえるが、僕はそっちのほうにワクワクしている。

それは「ジャグリングの新しい領域」じゃないし、「ジャグリングの周辺の活動」でもない。ジャグリングの周り、という言葉はめちゃくちゃよくわかるが僕は好きじゃない。ただジャグリングがある、熱くも冷たくもないその感じが、僕はある意味一番ジャグリングっぽいと思う。なのでジャグリングジャグリング書いてしまっているが、ジャグリングじゃないことのほうが、本当は大事なのだ。


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