道具のわかりやすさ

 今日は一日雨。子どもが卓球をやりたいというので、近くのスポーツセンターに行く。すこし年季の入った施設で、旅行先で温泉卓球をしている気分になった。まだやりたい、とのことで、今度ははじめて行く児童館へ。児童館では卓球はもちろん、ベイブレードやけん玉、ボードゲームなどがたくさん置いてあった。学童でやっていると聞いていた「マンカラ」も、ついに実物を見て、一緒に遊んだ。児童館にはいろいろな遊びがあるが、ジャグリングやお手玉はなかった。お手玉は学童にはあるみたいだけど、このたくさんの遊びに並びに入ってないのは、なかなか寂しいよなと思ったりした。
 お手玉には、けん玉や皿回し、あるいはマンカラのように、この道具でなければできない、というわかりやすい性能やギミックがない。なんなら、手に収まる丸いものならなんでも、やろうと思えばできてしまう。そして、この道具の使い方は、これなんです! というのがわかりづらい。専門性やウリがパッと見わからない。これは弱い。いまさらの話ではあるけれど、たくさんの遊びの並びを見て、あらためてそう感じた。
 一方で、だから悪いってことでもなくて、そこからどんなものができるかなと考えると、ワクワクしたりもする。

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