ジャグリングという古い友達

 昨日からの寝不足にくわえて、子どもとの遊びの疲れが残っていて、朝はふらふら。一昨日ひさびさに取り組んだリングづくりで、残念ながら腕はしっかり筋肉痛。安静にすごしていたので、腕も足も、いつもより筋肉痛になりやすい。

 昨日、子どもとひさびさにサッカーをやったときの、「身体がいうことをきかない感じ」はいよいよ情けなかった。頭のイメージと実際の動きが違いすぎて、足がもつれてしまう。すべての動きに不自由を感じる。そんなことはずいぶん先、おじいちゃんになった頃になるものだと思っていた。それなりに運動が得意で、身体をつかうジャグリングを続けてきて、ここ数年もランニングとかで気を配っていたのに、これかあ、と思う。左足と右腕がもし治ることがあれば、そこからは僕は本当に、ジャグリング界のイチローをめざしたい。

 日中はいつもどおり、道具づくりをして、発送。身体が不自由でほとんど投げられなくても、ジャグリングとつながっている。自分がやっているのは「ジャグリング」という言葉のものなのかどうか、という疑問は薄れてきている。ジャグリングだ。それはもうここまで、ジャグリングとしてやってきちゃったんだから、という、古い友達のような感覚でもあるかもしれない。JJFでいろんな人と会って、そのあとも連絡も継続していたりして、あらためて今年のJJFは、ジャグリング愛が深まった、という感じがする。自分が好きな人たちがこれをジャグリングと呼んでいる、というだけで充分だと思う。

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