新コーナー、ジャグリングのエッセイがはじまります。書くジャグリングの雑誌:PONTEの編集長でもあるスタッフの青木くんが、道具と人をテーマに綴っていきます。第一回は、PMリングを使うアルットゥ君のことを書いてくれました。
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フィンランドの首都、ヘルシンキ。
駅舎で僕はひとりの青年の到着を待っていた。
ニコニコしながら現れたのは、アルットゥ・ラハティネン君だ。スウェーデンの名門サーカス学校DOCHの卒業生。今は国で義務付けられた社会福祉で、子供達にジャグリングを教えたり、建物の清掃をしたりしている。
「ヘルシンキに来るならぼくんちにおいでよ」
と言われていたので、遠慮なくお邪魔させてもらうことにした。
ヘルシンキ中央駅から20分ぐらいのところにあるアパートまで歩いた。その日は冷たい雨が降っていて、夏ではあったが身体が冷えた。アルットゥ君と直接会ったのはその夏が初めてだったが、まるで数年来の友達のように親しく話しかけてくれる。
「昨日、近所にいいお茶屋さんを見つけてね、そこで茶葉を買ったんだ。よかったら一緒に飲もう」
少し奥まったところにある彼のアパートに着く。
決して広くはないが、ものを全然置いていないので広く感じる。その数少ないものの中で、ベッドサイドに、ジャグリング用のリングがあるのを見つけた。
円形のスツールに、大きさの違うリングがぴったり収まっていた。
随分ぴったりだけど、これはどうしたの、と聞いた。
「そう! これはここに引っ越して来たときにすでに置いてあった家具なんだよ。でもリングを入れてみたらウソみたいに形が合って!」
そう言って嬉しそうにそのリングを取り出し、パタパタと操ってみせた。PM Jugglingが作ったリングを、日本から取り寄せたのだ。
「ジャグラーのトニー(・ペッツォ)から、リングを作ってくれる人が日本にいるっていうのを聞いたんで、すぐに連絡した。今ショーで使ってるリングも特注で、本当に僕に合ってるんだ」と言って、彼はニコニコしながら台にリングをていねいに戻した。
僕らは近所のスーパーまで行ってインスタントヌードルとカレリアパイ(※)をたくさん買ってきて、部屋に戻り、MacBookでジャグリングの映像を観ながら話した。
アルットゥは、「シードルがあるよ」とまた嬉しそうに言って、冷蔵庫から2本、瓶のサマーズバイを出してきて、1本を僕にくれた。アルットゥのMacは6年前の旧式だったが、画面には曇りひとつなくて、躯体もきれいだった。いったいどうやったら6年間もこんなに綺麗にパソコンを使えるんだろう。
「PM Jugglingの、大きさが違うリングで研究をしていた時の映像もあるんだ」
と言って、今度はサーカス学校で撮った、成果発表会の映像も見せてくれた。普通のリングとは違った、ユニークな動きを色々と交えた演技だった。
気がつくとアルットゥの目の前にあったカレリアパイ3つが、跡形もなく消え去っていた。
あれっ、どこに行ったの、と聞くと、彼はまたニコニコしながら、「もう食べちゃったよ」と言った。彼が勧める通りにカレリアパイをオーブンで温めてバターを塗ると、なるほど、気が付いたら2、3個は平らげてしまいそうなくらいシンプルで美味しかった。
次の日の朝、僕は朝4時半に家を出た。
朝もやの中、空港に向かうバスに乗る。
僕は考えた。アルットゥに聞いたら、
「フィンランドにはジャグラーなんて全然いないよ」
と言っていた。確かに、フィンランドやスウェーデンは、ジャグリングの水準がとても高いイメージがあるけど、決してジャグラーの総数が多いわけではない。フィンランドの人口はたった550万人だ。かたや日本には、横浜市だけだって370万人の人がいる。そのことと、彼が持っていたリングについて思いを巡らせた。
家で過ごすことが多い環境から生まれた、北欧の優れたデザイン。未だ見たことのないフィンランドの雪景色。執拗なほどの修練を通した、前衛的なジャグリング。
その一連のイメージに、自分好みにカスタマイズした、透き通る白いPMリングを嬉しそうに触るアルットゥの姿を重ねてみた。彼は、本当に自分が欲しいリングをじっくり考えて、このリングを注文したんだ、と言っていた。
たしかに、アルットゥにはこの白いリングが、とても似合っているような気がした。
(※)カレリアパイ…フィンランドだと、パン屋に限らず、スーパーでもキオスクでも売っているベーシックな米入りのパイ。安くておいしい。