理想のスキルトイ


昨日のスペースはおもしろかった。あらためて考えるべきかもと思ったのが、自分にとって「ジャグリング」が何を意味しているかだ。僕は他人のジャグリングや作品を見て、「これは自分にとってはジャグリングとは言わないな」と感じてしまうことが正直けっこう多い。20年以上やっていると、もはや反射的に判断してしまっているというか、感じてしまう。でも、なぜそう感じるのか、その判断軸についてはあんまり深く考えてこなかった。

ひとつには、あまりいろんなことをジャグリングと言ってしまったらわけがわからなくなってしまうので、ある程度狭めの区切りを自分のなかで持っていたいし、持つべきだ、という気持ちがあった。これが一番大きいし、これだと思っていた。でももうひとつ、これは昨日のはなぽんさんの問いかけ(日用品をつかって非日常なことをする、非日用品をつかって日常にいく)で気づいたのだが、僕はやはり道具が「スキルトイ」であるかで判断しているのだと思う。そこにクセというか、限定がある。それはむかしハイパーヨーヨーという道具に出会ったときの衝撃、ワクワク感、その延長としてのジャグリング、それを続けてきたという長い時間、という本当に個人的なルーツに基づいている。僕はやっぱりずっとそれをやっているんだ、ということにあらためて気づいた。PM Jugglingの道具はどちらかというとシンプルなもの、身体に違和感のないもの、生活に馴染むもの、をつくっているが、むしろそれこそが一番よい、自分にとって理想のスキルトイになってくれると、僕は思っているのだ。

お店として、「ジャグリングがある生活」というようなニュアンスの言葉を、つい使ってしまうし、使ってきたように思うけど、むしろ僕は、違和感、ワクワク感、自分なりに突き詰めたスキルトイをそこに置こうとしていたのかもしれない。僕にとってジャグリングはスキルトイです、とまでは言えないが、すくなくともスキルトイの質感が、道具に、技術に、身体に、含まれているか否かが、僕にとってジャグリングかどうかを分けているのだと思う。むかしに立ち返って考えると、魔法のおもちゃで遊ぶ、みたいなイメージ。それをまだ持ち続けているのだと思う。


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