創造性ではなく

今日は東京のお友達と遊ぶ日。公園で凧揚げ、野球、ドッジボール、サッカー、そしてまた野球と、ひととおり遊ぶ・・・ 試合形式のサッカーは一緒にやるとめちゃくちゃ疲れる。

終わったらファミレスで遅めの昼食。折り紙タイムもあり、みんなでせっせと折る。僕も部品づくりに参戦。あらためて黙々と折ってみると、全然苦ではなく、むしろゾーンに入ってやめられなくなる。子どもは保育園で折り紙名人になっていたみたいだし、父は引退してからも何かつくっているようだし、家系的にこういうのに向いてるのかもな、とあらためて思った。もくもくと同じものを組み立てつづける、作業である、ということがポイントで、そこに創造性とかはあまり関係ないのかもしれない。

「つくる」ということが、達人が多すぎて、自分のなかで意味を帯びすぎていると思う。同じものをつくり続ける、ということすらも、ある意味いまの、ちょっとレベルの高い「つくる」に組み込まれてしまう。そんなに意味はなかった、ただの遊びだった、その軽さがまずあって、そこになぜか熱中していってしまうから楽しかった。そこになにかが発生している感じがあった。作業というゼロ、あるいはマイナスなものが、プラスに反転することの楽しさか。あるいは、完成の瞬間まで続くうっすらとしたワクワク感か。そういうもののような気がする。とにかくそんなに重たいものじゃない。そんなに期待をしていないものが発生するから、おもしろかった。

夜はJUGGZINEの新年会というか、オンライン会議。途中で声がかすれて出なくなっちゃったけど、楽しかった。いつものことだけど、人それぞれのジャグリングがあるんだよなあという感じがする。


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