夜にゆうりくんのソロ公演『待つ』を観に行く。自由が丘駅から青木くんと一緒に。今日行きますかと連絡をくれて、まさに今日、予約をしていた。会場に着くと、むかし自分がつくった金のビーンバッグが置いてあってうれしかった。
公演はまず、6面のビーンバッグへの解像度が高すぎる! と思った。僕は6面のビーンバッグを山ほどつくって触りつづけてきたけれど、いろいろな触れ合い方に共感し、そして、その解像度の高さにあらためて圧倒されてしまった。もし8面のビーンバッグだったら、かなり違う質感になっていたように思う。
手元のボールにぐっと狭く集中する瞬間と、空間全体に意識が広がった瞬間の往復をダイナミックに感じられるのもおもしろかった。僕は「ジャグリング道具をつくること」が「ジャグリングをすること」とうまく結びついていないのをずっと気にしていたけれど、こういう往復で捉えればいいのかなと、感覚的に初めてシームレスに考えられた。あるいはこの感覚的・空間的な狭さと広さが同居していることが、ジャグリングの魅力なのではとも考えた。
公演後にしばらく歓談する時間があってこれもとてもよかった。自分のジャグリングは、みんなのように深い思考のない、ただの手の散歩である。込み入ったジャグリングの思考的な話、たとえば人と物との関係性、みたいな話になると、本質的にはそこまでピンとくることができない。でもそのことを正直に言ってみると、手の散歩のほうがかえって本質的だし健康でいいですよと、そこにいた人たちが肯定してくれて、いた人がいた人なのでうれしかった。深く考える人にはやっぱりその人なりのしっくりくるところを探しているから必然的にそうしている、そうなっているところがあるようで、自分がしっくりきていると感じるなら憧れからあえて難しく考えようとする必要はないし、むしろ自分はこうだというのを純粋にやる、そのことを頑張るべきなのだと思った。
自分ごととして考える余白が充分にある、いい作品と時間だった。