ジャグリングと生活

KOMEIさんが作ってくださった動画の影響もあって、年始からたくさんのオーダーをいただき、道具をつくらせていただいています。海外からの注文も継続していただけるようになり、すこし認知度が上がったのかもしれません。(とはいえまだまだコアなジャグラーだけだと思いますが…笑)

 

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(いろいろとコア度が高めなジャグラー、Jackson Fordさん!)

 

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年始にも書きましたが、今年は場づくりにも取り組んでみたいと思っています。とはいえまずは、道具と人へのフォーカスをもっと掘り下げてみて、その活動を通して、場についてもまわりの人と一緒に深めていけたらいいな、と。

(場について一緒に考えているPONTEの青木くん)

場づくりといっても、できれば、組織をつくって大きくしていこう、とか、それで稼いでいこう、という感じではなく。どちらかというと、共同体というか、自由な集まりというか、そんな感じがいいなと思っています。お金や人気集めにあまりとらわれない。そこからジャグリングの純粋なかたち、楽しさが見えてくるのでは、と思っています。アート活動に近いかもしれない。資金面は考えていく必要がありますが、でもだからこそ、焦らずじっくりと、ゆるやかなつながりとタイミングのなかで考えていったほうがいいのかなと。

ただ単に場をつくっても意味がなく、どういう思いでやるかが大事だと思ってます。最近はそのためにも、まずは今の自分にとってのジャグリングとは何なのか、あらためて考えていました。ほぼ自分の忘備録(ひとりごと?)になりますが、現時点で考えていることを書いてみます。

 

もの・ひと・つながり

あくまで僕のなかでの話ではありますが、ジャグリングを捉えるうえで大切な要素は、もの・ひと・つながりの3つです。ものはジャグリング道具やそれになりうるプロップのこと。ひとは個人、個性、内面性など。つながりは社会性や文化といったもの。ジャグリングは単にものをつかむ、投げる、といった単純な動作・行為ではなく、技が発展したり、あるいはそれによって人が驚いたり、感動したりなど、つながりのなかで変わっていくものだという認識です。

たとえば僕が原始のひとだとして、石ころを触っているうちにカスケードを思いついたかもしれないけれど、限られた寿命と情報の中で、それ以上発展させられたかな? という感じです。見てくれる人がいたり、教えてくれる人がいたり、本があったり、今だったら動画や、サークルがあったり。それによって発展してきているな、と。それは言語に近いかもしれません。Object Episodesでジャグリングの定義についての議論がされていますが、こうした議論が続き、大切にされているのも、ある意味つながりがあるからこそだと思います。

当たり前のことかもしれないし、あるいは人によっては全然違うかもしれませんが、いまの僕の関心はこのあたりにあります。

 

活動のかたち

もの・ひと・つながりに着目して、こんな活動をしていきたいなとイメージしています。

「PM Juggling」(もの)
手づくりのジャグリング道具店

「ものびと(仮)」(ひと)
ジャグラーの今を写真とインタビューで記録してみたい

「Jugglers’ Base Tokyo(仮)」(つながり)
ジャグリングの場

一応要素で分かれてはいますが、それぞれがつながっていくことを期待しています。

 

小さなインタビュー

道具についてはいまメインで取り組んでいます。ジャグリングの場については、興味のある人たちとじっくりやっていきたい。なので最近はこの中でも、インタビュー活動について考えています。

以前から、ジャグリングの今をアーカイブしていくことは大事だと思っていました。昔は西村さんという方がやっていたブログ「ジャグリング練習日記」などがそういう役割を果たしていて、楽しみに読んでいたのですが、いまは閲覧できず。最近はTwitter等で情報がさらさらと流れるので、すこし寂しい感じです。

というのも、例えば昔あった、ジャグリングはスポーツか? アートか? みたいな話は、数年おきのサイクルで、今もかたちを変えて話題にあがっている気がします。ジャグリングを始めるひとは年々生まれているわけで、なんだかそういう堂々巡りというか、先だった議論やアイデアがつながっていかないのは、もったいないなと感じています。(JayやErikがObject Episodesを立ち上げたのも、そういう気持ちだったのではないかなと。Erikはもっともっと長い視点で、ジャグリングの歴史と現代のジャグリング文化をつなげようとしている)

とはいえメディアをつくる、というのも僕には大風呂敷すぎるので、もうすこし小さな、個人的な視点でできたらいいなと。それが写真を含めたインタビューかなと考えています。

インタビュー活動は、道具をつくることと同じように、ゆっくり積み重ねながら、自分にとっても予期せぬ出会いやアイデアが生まれたらうれしい。PM Jugglingの道具づくり活動とかなり近いと思っています。それが結果としてかたちが残り、すこしでも誰かの役に立ったりしたら、うれしいなと。

ちなみに、もっとしっかりと、知見を発表したり、アーカイブしたり、という場としては、ジャグリングの雑誌・PONTEがすでに頑張っています。僕も編集部員としてときおり同行し、貴重な体験をしてきました。国内、海外問わず多くのインタビューや寄稿が記録されており、こちらもまた、たくさんの人に読んでもらいたいです。

 

関わり方の自由度

ジャグリングそのものは基本的には技術のことなので、まずは「なにをやるか」に着目しますが、僕はそれと同じように「いつ、どこで、誰に向かってやるか」なども大事に思っています。これは学生のころ、将来ジャグリングでなにかやっていきたいけど、特に上手いわけでもないし、どうしたらいいかな… と悩んでいたときに考えていました。

上手いけど人に見られる機会が少ないジャグラーよりも、カスケードしかできなくとも、ジャグリングのない地域でジャグリングを見たことのない人にそれを見せたり教え続けているジャグラーは、世界に対する影響力は高いのではないかな、という感じです。

もちろんジャグリングの楽しみ方や捉え方は人それぞれだし、前者の人のジャグリングが魅力がないわけではありません。むしろ個人的にはそういう探求者が大好きですが、だからといって全員がそうである必要はなく。ジャグリングでなにかやりたい、という人も、カスケードだけでも大丈夫、くらいの関わり方の視点というか、自由度があると、気持ちが楽になる気がします。

 

生活とともにあるジャグリング

たまにこのことを思い返すのは、ジャグリングと関わる生き方として「ジャグリング × ○○」というスタンスが僕は好きだからです。

音楽でも、絵でも、料理でも、言葉でも、旅でも、その人なりの得意分野とジャグリングを組み合わせると、大人でもジャグリングが楽しめるし、むしろ大人になって自分の世界が広がれば広がるほど、ジャグリングが広く、楽しくなっていくはず。僕は最近は、自分の子供と一緒にジャグリングを楽しむにはどうしたらいいかな、と考えています。年齢や生活の変化とともに、ジャグリングとの関わり方や楽しみ方は変わっていく。

そういう意味では、大学を卒業したらジャグリングをやめてしまう人が多い現状はなんだか寂しいし、もったいないことだと感じています。

また話が飛びますが、ジャグリングを人に見せる(パフォーマンスする)ということを、いまの僕自身は不自然に感じています。プロジャグラーという言葉は今は一般的にパフォーマンスをする人と捉えられていますが、もっと広義でもよいし、様々なものや行動の価値が見えやすくなっていく流れのなかで、多様化していくものだろうと思っています。ジャグリングは、その人の生き方や生活に近づいていく。

道具づくりにしても場にしても、人それぞれの生活にあるジャグリングを、大切にしたいと思っています。主眼はあくまでジャグリングですが、そのジャグリングの技術の根底には、その人の嗜好や生活があるはずです。僕にとっては、生活とともにあるジャグリングを見つめていきたい、というのが、すべての活動の根底にあると今は感じています。

 

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昨年までは、かなり幅広く、あれもやりたい、これもやりたいと想像しては焦っていたのですが、最近は視点が絞れてきたし、これでいいんだ、という気持ちになってきました。そう思えるのは、迷っているときも僕の手を動かし続けてくれた道具の購入者のみなさまのおかげですし、PONTEの青木くんのようなアドバイスをくれる友人や、家族のおかげです。たまにこうして振り返りながら、引き続き積み重ねていけたらいいなと思っています。

(今日つくったKOMEIさんのスクール用ボール)

 

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